アトリエは八百屋なの

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夢を見た。落語に出てくる熊さん八さんならぬ、シェィクスピアとモリエールが、とある長屋に隣りあわせで住んでいる。向こうを見遣ると、ラシーヌが、気難しげに腕組みしては、雑然とした路地を行ったり来たりしている。よくつまづかないもんだとちょっと感心。僕は、潰れかけた八百屋を改造して、何やら売っている。彼ら相手に僕が売る物、それはね・・
アトリエは八百屋なの


夢を見た。
とある長屋に、シェイクスピアとモリエールが住んでいた。
熊さん八さんならぬ、ウィリアムさんとジャンさんである。
二人の部屋は隣同士だったが、どうも仲がいいのか悪いのか、さっぱり分からない。
朝っぱらから壁越しに、
「だから、それは喜劇じゃない!」
「いや、悲劇だ!」
なんて声が聞こえてくる。
長屋の住人たちは、また始まった、と知らん顔をしている。
僕はその向かいの、潰れかけた八百屋を買い取って、店にした。
野菜は売らない。
店先には小さな木の札を掛けてある。
「ことば屋」
何を売っているのかと聞かれても、僕自身、よく分からない。
ただ、必要な人には必要なものなのだ。
棚には小瓶が並んでいる。
「ひとこと」
「ため息」
「仲直り」
「言い訳」
「恋の始まり」
「別れ際のひとこと」
そんな札が貼ってある。
シェイクスピアは毎朝やって来て、
「今日は『運命』をくれ」
と言う。
僕が小さな包みを渡すと、
これは重いな」

と呟いて帰っていく。
モリエールは、
「『笑い』を三つ」
と言う。
「三つも?」
「一つでは足りない」
そう言って、懐にしまう。
ところがある朝、店の前に見慣れない男がいた。
ラシーヌだった。
気難しそうに腕を組み、雑然とした路地を行ったり来たりしている。
石ころを避け、桶を避け、猫を避け、洗濯物を避ける。
それでも時々つまずく。
僕は思った。
――よく転ばないものだ。
しばらくしてラシーヌが店に入ってきた。
「君は、ここで何を売っている?」
「ことばです」
「ことば?」
「ええ」
ラシーヌは眉をひそめた。
「では、『沈黙』はあるか?」
僕は少し考えた。
そして棚のいちばん奥から、小さな紙包みを取り出した。
「あります」
ラシーヌは包みを受け取り、しばらく眺めていた。
「いくらだ?」
「お代はいりません」
「なぜ?」
「あなたには、もう十分すぎるほど言葉があるからです」
ラシーヌは黙った。
そして初めて、腕を組むのをやめた。
そのとき、隣のシェイクスピアが顔を出した。
「ラシーヌ、何を買った?」
「沈黙だ」
「それはいい。私にもくれ」
するとモリエールまで出てきた。
「僕には『笑い』をもう一つ」
三人が店先に並んだ。なんとも妙な光景だった。
江戸の長屋の軒先に、イギリス人とフランス人。
僕は笑ってしまった。
するとモリエールが言った。
「何を笑っている?」
「いや、夢みたいだなと思って」
「夢?」
シェイクスピアが空を見上げた。
「人生そのものが夢なのかもしれん」

ラシーヌが、ぽつりと言った。
「だから人は、言葉を欲しがる」
そのとき、長屋の奥から熊さんの声がした。
「おーい、八っつぁん! 文学ってのは食えるのかい?」
八っつぁんが答える。
「知らねえよ。けど、腹が減ったら八百屋へ行きゃいい」
僕は店の看板を見上げた。
「ことば屋」
八百屋だった頃より、ずっと繁盛している。
そして僕が売っているもの。
それは――
野菜でも、夢でもない。
人が胸の中にしまい込んで、どうしても誰かに渡したかった、
「まだ口にしていない言葉」
なのである。
目が覚める直前、シェイクスピアが店先で僕に聞いた。
「ところで君、最後に一つだけ残っている言葉はないか?」
僕は答えた。
「ありますよ」
「何だ?」
僕は笑って言った。
「それは、目が覚めてから考えます」
そこで夢は終わった。

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